今春の僕の最大のショックは、大好きな山菜のコシアブラが県内のほぼ全域で出荷停止になったことだ。会津に来て初めてこの山菜を知り、大ファンになった。今年も検査せずにいただいた。でも放射性物質のことを気にしないで、コシアブラが食べられるのは、一体いつの日だろうか。何年も何十年もかかるかもしれない。福島の山菜は、県外から来る知人にいつも自慢していたのに、悲しい。
福島第一原発は、無能で無責任な東電がヘマばかりを繰り返し、福島の大地や海を汚染し続けている。除染は遅れや期待はずれ、さらには暴力団の関与が報じられている。完全な賠償は遅々として進まないのに、復興予算は流用され、福島の苦しい現状は何も変わらない。僕には住民無視の「押しつけ復興」としか思えない。その一方で安倍政権は原発の再稼働、輸出へ奔走している。福島県の人口195万人は、日本の総人口のたった1.5%程度だから、そんな「少数派」の苦しみなど無視しても差し支えない、と言わんばかりだ。
原発事故後3年目に入り、多くの福島県民が苦しみ、憤り、不安や不満を抱え、遅々として進まない復興にいらだっているにも関わらず、多くの県民が政治を変えることなど無理だと諦めているように思える。だが、江戸時代のように殿様に治められている時代ではない。日本国憲法前文にはこうある。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」国民が国の主権者で、県民が県の主権者なのだ。主権者に政府を選ぶ、あるいは創る権利がある。政府は主権者の声を聞く義務がある。憲法を引用したついでに言いたいことがある。改正するなら、前文の「戦争の惨禍」に続けて「原発事故の惨禍」も加えて欲しい。原発事故の惨禍は、福島第一原発の廃炉が完了し、コシアブラが安全に食べられるときまで続くのだ。だから「原発の放棄」も憲法に加えて欲しい。そして「核兵器の不保持」も。ヒロシマ、ナガサキ、フクシマを経験した国家としては当然のことだろう。
僕たちは、主権者であって、治められる民ではない。だが、その権利は黙って与えられるものではない。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」(憲法12条)つまり、僕たち国民の日々の努力がなければ、権利も自由もなくなるよー、って書いてあるのだ。憲法に言われなくても、歴史を見れば当たり前のことだが。
「不断の努力」とは何か。僕なりに考えてみた。
■政治の動きに毎日注意する(不断の努力そのもの 12条)
■政府(国や県)や議会に要望を提出する(請願権 16条)
■政治家に手紙を書く、電話する(表現の自由 21条)
■マスコミに投書する(表現の自由 21条)
■インターネットで発言する(表現の自由 21条)
■関心のあるテーマの集まりに参加してみる(集会の自由 21条)
■同じ考えの仲間と政党(政治団体)を作る(結社の自由 21条)
■自分が立候補することを検討してみる(法の下の平等 14条)
■政治家になって欲しい人に立候補を要請する(国民固有の権利 15条)
■自分の考えに近い立候補者を応援し投票する(国民固有の権利 15条)
■憲法を守らない公務員(現職の政治家を含む)を辞めさせる(15条 国民固有の権利 及び 99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。)
人任せで、福島を取り戻すことはできない。僕は、国民主権を定めている現憲法があるうちに、主権者として行動しようと思っている。皆様も憲法を読み直して小さな一歩を!
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