「会津の冬」と言えばほとんどの人が雪を思い浮かべるだろう。会津は雪国であり、多い少ないはあっても、雪の降らなかった年はない。それも必ず根雪になる。だから会津の冬の暮らしは雪とのたたかいに明け暮れる。本格的な雪が来る前に家々では家の周囲に雪囲いをする。家だけではなく庭木など雪の重みで折れたり倒れたりしそうなものには何から何まで囲いや支柱、雪吊りを施さなければならない。
当然会津の人にとって雪は嫌われ者であり、皆降ってもらいたくないと思っている。しかし同時に昔から「大雪の年は豊作」と言い伝えられてきており、大黒柱に「豊年之冬必有積雪」と書かれたお札を貼っている家も多い。豪雪が後の豊かな稔りの源だということを人々は信じてきたのだ。実際春に一気に解け出す雪は厖大な量の水となって川から堰へと流れ、また堤(溜池)を満水にして、水田を潤す。飯豊連峰という高い山があるために、平地の雪がみな融けてしまった後も、稲の生育期間中は雪解け水が完全に途切れることはない。積雪が極端に少ない年に渇水で苦労したという経験は私にもある。
雪は人々の暮らし方、生き方にも影響してきた。今は道路は除雪され車もあるが、かつては雪に降られると家の中で藁綯いや籠編みなどの手仕事をするしかなく、ひたすら春を待ち続けるほかなかった。春になると草木は一斉に芽吹き花を咲かせ、人は山菜を採り野良仕事に精を出す。夏の旱や大雨をなんとかくぐり抜け秋には収穫作業やキノコ採りにいそしむ。豪雪によってもたらされる振れ幅の大きなダイナミックな四季の変化に応じた生き方だ。
災厄と恵みのどちらももたらす、というより人間の利害を超えたものとして雪(に象徴される自然)は畏怖の対象だった。「ゆき」という言葉の語源は諸説あるが「神聖なこと」を意味する「斎(ゆ)」と「潔白(きよき)」からという説が有力だとか。漢字の「雪」の成り立ちが、雨と、人が箒を手に持って掃く様を表象した「ヨ」を組み合わせて「箒で掃ける雨」という即物的なものであることと比較すると興味深い。先人たちは自然を人がコントロールできないもの、いや、してはいけないものとしてとらえていた。
だが、今や人は原子力なるものにも手を染めて自然を自らに都合のよいように制御できると信じ、そうしようと突き進んでいるかに見える。今日ですら「昔に比べると雪はずっと少なくなった」と古老たちは言う。やがて科学技術の力で降雪を抑制できるようになるかもしれない。季節感は薄れていくだろう。その果ては?「天空の城ラピュタ」のようにならないことを願うばかりだ。
1年半にわたり続けてきた「里山歳時記」も今回が最終回となります。お読みいただきありがとうございました。